タイトル



     百キロハイクとは、文字通り100km歩くイベントですが…主催者である早稲田精神昂揚会の発行している100ハイのパンフレットに、その起源と歴史について以下の様な説明があります。

    100キロハイクの起源とその歴史

     1963年、早稲田精神昂揚会はアメリカ大陸に渡り、西海岸から東海岸までの約5000キロを241日かけて横断踏破しました。その間、各地で「日本親善の集い」を開催、約40の大学との交歓、また各地の市長と会見を行い、大パレードをして迎えられた事もありました。ワシントンではあのロバート・ケネディ司法長官との会見が実現され、彼はお気に入りだった早稲田の校歌を一緒に口ずさんで下さいました。こうして大陸横断は大成功のうちに完遂する事が出来たのです。この遠征から得た大きな自身と多くの教訓を生かし、「歩く」ことから次第に遠ざかりつつある現実を憂いて始められたのが、この「本庄〜早稲田100キロハイク」なのです。
     出発地点である本庄市には、1962年に早稲田大学が校地購入を決定し、地元市町村の好意による土地提供によって建設されたセミナーハウス(1970年竣工)や、早稲田大学本庄高等学院(1982年設立)があります。また第29回より経由することになった所沢にはご存知の通り早稲田大学創立100周年記念事業の一環として1987年に解説された所沢キャンパスがあり、これらの早稲田にゆかりのある地を結んで100キロハイクは行われます。
     1963年11月17日、記念すべき第一回が行われて以来、今では早慶戦、早稲田祭と並ぶ早稲田を代表する行事に成長しました。回数を重ねるたびに一般の参加者も増え、日本全国より参加者が集まっています。(以下略)

    (第41回本庄〜早稲田100キロハイクパンフレット p.3より抜粋)


     主催者である早稲田精神昂揚会は、名前だけ聞くとアレな印象を受けますが、バンカラな早稲田精神を研究、実践する早稲田大学の歴史あるサークルの1つです。学ラン角帽姿で下駄を鳴らしてキャンパスを闊歩する、早稲田の「漢」の集まりです…たまに大和撫子もまじってますけれど。